●オープニングイベント「方法音楽作品の演奏」発表作品
(1)五十音モノフォニー第一曲、第二曲 (1999-2000)
日本語の五十音を音素とする単旋律作品。重複のない五十音を基本音列とし、厳
格な幾何的操作を五十音図に施した。第一曲は声明演奏家の桜井真樹子の委嘱に
より1999年に作曲初演されたもの。第二曲は今回のイベントのための新作初演。
演奏=さかいれいしう。
(2)数字詩(一または四話者のための十進数字朗読詩) (1999)
数字に宿る生理感覚の抽出がテーマ。音響詩等の演奏グループ、足立智美ロイヤ
ル合唱団によって初演された。第5番まであり、朗読は何語でもよいとされる。演奏者未定(出品作家の方々にお願いするかもしれません)。
●主展示「方法絵画作品の展観」発表作品
(3)二九字二九行の文字座標型絵画第一番 (1997)
(4)二九字二九行の文字座標型絵画第二番 (1997)
(5)二三字三九行の文字座標型絵画第三番 (1999)
(6)三五目三五路の盤上布石絵画第一番 (1999)
(7)三五目三五路の盤上布石絵画第二番 (1999)
(8)三五目三五路の盤上布石絵画第三番 (1999)
上記6作は、2000年1月1日以降、「方法絵画」と自ら呼んでいる作品群である。
「方法絵画、方法詩、方法音楽(方法主義宣言)」に関しては次頁参照。
http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/houhou/
ライトボックス、特製碁盤に出力したものを持参する予定だが、出力形式に必然
はない。画像は、私へのインタビューが載っている次頁でも閲覧可能。「Bijutsuyaro!」 http://art.myplanet.ne.jp/by/
以下は機関配信誌「方法」に発表した論考で、自作解説を兼ねている。同誌購読
希望の方は nakazawa@aloalo.co.jp まで連絡下さい(無料・転送自由)。
●色彩絵画の帰結 中ザワヒデキ
ドラクロワは、コンスタブルが描いた木々がなぜあんなに光輝く緑色に見える
のか解明しようとして、「さまざまな段階の緑が多数並置されているから」とい
う結論に達した。日本語で「さまざま」を「色々」と言い換えてもいいように、色彩
は、多数性や差異性をその本質とするようである。
とするなら、カラーフィールドペインターが単色で覆った平面は、「色彩
」絵 画とは言いがたいのではないだろうか。作品を外部空間と比べたり、鑑賞者の身
体生理に照らしたりした場合、単体としてのそれに色彩はある。しかし多数性や
差異性を内部に持たない単体は、構造としての色彩を持つとは言えない。
今の時代なら「ドロー」と「ペイント」というCG(コンピュータグラフィッ
クス)の二大方式が、その考えをうまく説明する。カラーフィールドペインティ
ングの変形カンバスは、ドローソフトで作成した一個のオブジェクト図形に相当
する。単一の方程式の演算結果を線と認識するドローCGにとって、面は線で囲
まれた不等式領域、色彩はオプションにすぎない。つまりはフィレンツェ派の形
態線描美学であり、方程式をイデアとするイデア論的な単数構造が本質だ。
一方コンスタブルの風景画は、ペイントソフトで作成したビットマップ画に相
当する。多数の色彩画素の集合を面と認識するペイントCGにとって、線はジャ
ギを伴う偽物、形態は認知心理学的な非実体にすぎない。つまりはヴェネツィア
派の色彩点描美学であり、画素を原子とする原子論的な多数構造が本質だ。
以上を踏まえ、「色彩絵画」を再考する。その具象画段階における帰結は、多
数の画素配置を徹底したスーラの点描画だ。抽象画段階における帰結はカラーフ
ィールドペインティングではなく、細部の多数構造に依拠するヴァザルリやライ
リーのオプアートだ。しかしオプアートは、身体生理を捨象していない。次段階
では身体生理を捨象し、多数構造のみへの還元が果たされなければならない。
それは、私の「方法絵画」である。身体生理を排した画素として、互いに差異
性を有する記号を採用した、多数構造だ。現段階における色彩絵画の帰結である。