WALL
Hyperscratch ver.7
-Document-
この作品は、参加者が空間で手を動かすことによって、まるで空間を絵筆とキャンバスのようにしてペインティングするように、あるいは鍵盤の見えないピアノで演奏するように、様々な音と形を発生させることが出来るインタラクティブな作品である。この作品ではただ単にあらかじめ設定された世界を巡っていくようなインタラクティビティーではなく参加者により創造的な時間と、空間を提供しようとする試みである。
この作品は操作するためのインターフェースやデバイスなどは視覚的には一切存在せず、スクリーンの前方に参加者の立つ位置が示されているのみである。参加者はそこに立って手を前方で動かすことによってスクリーンから映像と、スピーカーから音声を発生させることができる。手を上下左右に動かすと、映像は変化すると同時に手の動いた方向に動く。また音声も変化すると同時に参加者の周りに配置されたスピーカーからの音声を手の動きに従って動かすことができる。つまり参加者の眼前には目に見えない3次元の立体的なインターフェースが存在し、そのインターフェースを通して映像と音声を操作することができるのである。音声と画像は固有の音程やリズムを持ったもの、参加者の行為にランダムに反応したり、参加者の行為を受けて自発的にパターンが変化したりするものなど、コンピュータのプログラムによって様々なパターンで再生される。手の動きは赤外線ライトに照らされ、前方と横に設置された高感度ビデオカメラによって追尾される。高感度ビデオカメラによって捕えられた手の動きは、コンピュータによって処理されて、画像となって現われると同時にMIDI信号によってデジタルサウンドサンプラーに送られ、音声が出される。
この作品の目的は参加者にいかに自発的で創造的な時間と空間を提供できるかということである。この作品においては何らかの入力デバイスは使用せず、使うのは人間の手と体のみであるり、両手を使って連続して次々に音と映像を出すことができる。このことはこの作品において非常に重要なポイントである。参加者は両手を使って踊るようなしぐさを見せたり、指揮者ように振る舞ったりする。マウスやタッチパネル、あるいは何らかの空間入力デバイスを使用する操作方法では、このように自然な自発的な体の動きを誘発することはなかなか困難ではないだろうか。この作品のインターフェースは単なる入力装置やポインティングデバイスとして位置付けされるものではなく、参加者の肉体的な行為を誘発する環境として存在するのである。まるで楽器か絵の具とキャンバスのように、あるいは楽器や絵の具とキャンバスの物理的な制約を廃したことにおいてそれ以上に参加者が思うままに自由に表現することが可能であり得たとき、この作品の目的は達成される。また楽器の様に演奏することも不可能ではないが、インターフェースが目に見えない以上、正確に音階を奏でることは至難のわざである。したがって参加者の行為が引き起こす偶然性をも前提としてこの作品は成り立っている。
また前述したように参加の周りには立体的に8個のスピーカーが配置せれていて、参加者の手の動きに呼応して音声も立体的に空間を移動する。この作品において音声も映像と同等に重要な役割をになっている。いわゆるバーチャルリアリティ等の作品において映像空間への没入感を目指すものが多いが、実際人間が肉体を持っている限り平面上のディスプレーに写し出された空間に入って行くことは困難であるのに対し、音の位相は空間上に自由に設定する事ができるので人間の身体がその音場に入り込むことも可能である。その意味において音は映像以上に本来バーチャルなもので有り得るのではないか。
この作品で出現する一つ一つの音と映像は連続した手の動きによって和音とイメージが生じることを意図し、できるだけシンプルなものとした。そしてそれは参加者のイマジネーションを刺激し自発的な行為が生まれる余地とスキを残しす事をも意味する。この作品を前に、なにかバーチャルリアリティやゲームのようなあらかじめ決められた操作方法や仮想空間等を期待する向きには期待はずれであろう。従来のインタラクティブなメディアがあらかじめ設定された空間の中を巡っていく、あるはページのようにめくって行くといったあくまでも従来のゲームや書籍、映像の方法論の延長上に位置していると思われるのに対し、この作品の目指すところはより即興音楽的、あるいは抽象表現主義の作家ジャクソン ポロックが大きなキャンバス上で描いているその瞬間の行為に没頭したであろうその感覚を目指しているとも言える。